2014

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タラフ・ドゥ・ハイドゥークス

タラフ・ドゥ・ハイドゥークスとわたし vol.1 | アパートメント

待ちくたびれて10時を過ぎた頃、一階入口の方がガヤガヤし始めた。まるで溜まりきった音楽が耐えきれずに破裂するように一糸乱れぬ演奏が一斉に弾け出す。タラフのメンバーがひとりずつ狭い階段を演奏しながら降りてきたのだ。いきなり会場のボルテージが急上昇する。ひとり、またひとり、と降りてくる。何人いるかもわからない。おいおい、入りきるんか。どんどん降りてくる。すでに超満員の店内。先に入ったメンバーは演奏しながら奥のトイレの方まで移動してゆく。階段から店内奥のちょっとした広間、そしてトイレまで何人いただろうか。もう誰が演奏者で誰が客なのかも判別がつかん。凄まじいエネルギーと観客の阿鼻叫喚。全て生音の演奏である。三角座りしたまま失神しそうになる小汚い学生たち。

ちょうど自分が座っていたほんの20㎝前が歌手の立つ舞台の中心となった。一曲ごとに入れ替わる歌手のおっちゃんたち。凄まじい声量。空気が震えて耳がうなった。その声量を支える漫画のように突き出たお腹。そのお腹の上に乗るミッキーマウス柄の黄色いネクタイ。全てが鮮烈なイメージとして記憶されている。メンバーの中で特に強烈だったのはメインヴァイオリンの浅黒い肌のおっちゃん。まさに超絶技巧。身もだえするくらいの速さ・正確さ。弓の先がまるでフェンシングのように空を切る。狭い店内は踊り狂う観客の熱気で息苦しい。ついにはある女が興奮を抑えきれず前へ飛び出してくる。何をするかと思えばこの女、そのメインヴァイオリンの浅黒いおっちゃんの胸ぐらにいきなり札束を突っ込んだのだ。おいおい。演奏中にでっせ。するとこのヴァイオリンのおっちゃん、満面の笑顔とともに次の瞬間、演奏が倍速になる。もはや動きが早すぎて見えない。しかしいい顔するねんなぁこのひとたちは。演奏のための演奏を一切やっていない。演っている音楽が音楽をつきぬけてしまってもはや音の乗り物みたいだ。マイナーとかメジャーとかでなく全てのキーが泣き笑いのスイッチなのだ。

音楽が人を救うかどうかなんて話題はあほらしい。ただ、音楽によって喜怒哀楽は叶えられるということがわかった。喜怒哀楽どれひとつ欠けても生のエネルギーは完全ではない。その全てがタラフの音楽によって叶えられる瞬間を目撃したのだ。熱狂の渦が終息した頃、小汚い学生たちはもぬけの殻であった。学友たちはわたしの目をしっかり見て言うのだった。きみが今日この場に連れて来てくれたことを一生忘れない。

あの晩、わたしたちは音楽的可能性の極致を知ったのだった。

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