しきたりがあって、続けてやろうと思っていることを、表立って言わない。という決まり事がある。文字とか宣言にした途端に、雲散霧消しちゃう。
人に向って言わない方が、継続する。いやむしろ、言葉にしてしまわないが故に最初の思いと違う形で継続されるところがあって、結果的にはそのような形でしか継続できなかったような形で継続されることとなる。
最初にルールを定めない。継続出来たが故に、継続した先に、そのゲームのルールが勝手に定められる。あくまで結果としてのルール。今の時点でのルールは、明日にはまた別のルールになっている可能性もある。もしもその時に継続しているのであれば、継続されているが故のルールに書き換えられているはず。
このようなしきたりの元では、継続された先で定められたルールは、だいたい退屈なものになる。どういうことかというと、飽きてきているのにだらだらと続いている状態のこと。
いわゆる 飽きてきてからが本番だ。 というヤツ。
例えば、ここ最近で言えば、(後で書く)
あと、身体に刻まれるまでは、つまり、上で言ったような、惰性であっても継続しているような状況になるまでは、それ一個だけ、という決まり事もある。これについては、(後で書く)