しかし,ヤーコブソンが抒情詩の一人称の特徴であるとした情動的機能が皆無であろうと,レシピ言語に詩的機能が全く存在しないと言えるだろうか.次に挙げるのは,[Cohen 1966] が,空間への配置の仕方によって,あらゆる発話が詩的言語の性質を帯び得ることを示すために,新聞記事(交通事故)を詩のような「形式」に並べ替えた例18に倣った,レシピの一部である.
たまねぎは,薄く切り, 塩を少々ふり, ふきんに包んで手でよくもんで, アクが出たら水にさらして 洗い,絞る 干しじいたけは 水につけて戻し, 縦半分のそぎ切りにしてから せん切りにし, きくらげも水で戻して 石づきをつまみ取り, 細いせん切りにする[Cohen 1966]はこの種の効果について次のように述べている:
「勿論,これは詩ではない.文彩の助けなしにこのようなやり方だけで詩を生み出すことは出来ない.しかしまた,これは既に散文ですらない.言葉が生気を帯びて流れ,異常な切り取りによって文章があたかも,散文的まどろみから目覚めようとしているかのようである.」
例18
きのう国道7号線で 1台の車が 時速100キロで走行中,激突した 街路樹に 乗っていた4人は 死亡した[Genette 1966]はこの種の例を,マラルメが執着し続けた《言語の星座構造》と結び付けている.