2014

the whole world is peaceful.

文学であった

はじめに和歌集があった。和歌集は文学とともにあり、和歌集は文学であった。大抵の場合、文学はまず歌なのだからありそうなことだ。

一つ目は、これは「ラジカセを肩にかついで海辺を歩く男」の犯行によるものだというものだ。

はじめにミステリーがあり、ミステリーは文学とともにあり、ミステリーは文学であり、文学は結構ミステリー仕立てなのだからありそうなことだ。

二つ目は、「豪華客船の犯行」というものなのだが、

はじめにお伽噺があり、お伽噺は文学とともにあり、お伽噺は文学であり、文学は畢竟、作り話なのだからありそうなことだ。

今や別種の人類などはSFの中に押し込めてしまって知らぬ顔をしているが、現生人類は枝分かれを続けた人類の、一番長く伸びている枝にすぎないわけで、かつては何本かの枝が併存していた。

別種の人類が設定された話なんていうものを、人類の手で書くことはできるのだろうか。できなければおかしいような気がするが、どうやったってできないような気もしてくる。文学とは人類のためのものであり、他の人類だとか宇宙人なんかには意味のないものなのだろうか。

「多くの、あまりに多くの人々があり見解がありそれぞれに固有の妥当性があり、文脈に応じた選択があり、でもその文脈なるものも、恣意的に切り出された極々一部分のデータにすぎない。

君が一日に一万人の人間とすれ違うとしてみよう。一年で三百六十五万人、十年で三千六百万人、百年で三億六千万人だ。世界には何人の人間がいると思う。人間には事象の極々一部分しか見えないのだ。そこからは多分、どんな意見だろうと正当化する文脈や筋をみつけることができるんだろう。文学というもののそれは機能だ。

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